富山県高岡市内一円 高岡御山祭 2009/5/1
重要有形無形民俗文化財の高岡御車山(みくるまやま)祭は一日行われ、加賀藩ゆかりの絢爛豪華(けんらんごうか)
な御車山七基が高岡市の中心街を巡行した。沿道に詰めかけた大勢の観客は、高岡の工芸美術の粋を集めた御車
山の優美な姿を堪能し、開町四百年の節目を彩る時代絵巻に見入った。

飾り付けを終えた七基の御車山は、午前十一時に坂下町に集合。各山町の代表が手打ちを行った後、坂下町の源太夫
(げんだい)獅子を先頭に、通町(とおりまち)、御馬出町(おんまだしまち)、守山町(もりやままち)、木舟町(きふねまち)、
小馬出町(こんまだしまち)、一番街通(いちばんまちどおり)、二番町(にばんまち)の順で出発した。

 沿道の観客を分け入るように進んだ御車山は、正午に片原町交差点で勢揃(せいぞろ)い式に臨み、御車山に供奉
(ぐぶ)する各町の祭礼役員らが橘慶一郎市長や来賓にあいさつした。

 
 
高岡御車山は天正16年(1588年)豊臣秀吉が、後陽成天皇と正親町上皇を聚楽第に迎え奉る時に使用したもので、
加賀藩初代藩主前田利家が秀吉より拝領し、二代目藩主前田利長が慶長14年(1609年)に高岡城を築くに当たり町
民に与えられたのが始まりと伝えられています。京都祗園の祭礼にならって鉾山に改造され、高岡関野神社の祭礼日
に神輿と共に曳廻されて以来、今日にいたるまで高岡の発展と共に継承されてきました。御車山は御所車形式に鉾を
立てた特殊なもので、高岡町民の心意気と財力に支えられ、格式を保ち高岡の金工、漆工、染織等の優れた工芸技術
の装飾が車輪
や高欄、長押等に施された日本でも屈指の華やかな山車です。
                                              【高岡市観光物産課パンフ】 より
坂下町に勢揃いした七台の山車 御馬出町の山車 片原町交差点で勢揃(せいぞろ)
い式
神座 幔幕
車輪と花傘 源太夫獅子の頭(左)胡簗と弓矢の鉾留(御馬出町山車)(中)
高岡大仏 裃姿の山役員 御馬出町の山車曳手
坂下町の源太夫(げんだい)獅子 片原町を行く通町の山車 YouTube動画 源太夫獅子